サンエスペロ統合医療研究所

体験談

「さっき、びっくりしたね」と息子が私に言う。先程、財布を失くしたかと思い、「財布、知らない?」と私が大きな声を出したことに対しての反応である。結局、財布は見つかって事なきを得たのだが、このようにその場に適した反応が、最近は少しずつできるようになってきている。
長男は自閉症である。三歳の時に自閉的傾向児という診断がついた。

0歳の時は反応の乏しいおとなしい赤ちゃんだったが、一歳を過ぎても片言も出ない。一歳半の集団検診で保健婦さんから、多動だしアイコンタクトが取れないので、一度、A病院で診てもらうようにと言われた。二歳で連れて行ったが、小さかったので直には判断ができないとのことだった。「週に一度の療育教室に通いながら、様子をみましょう」と言われた。
初めての子育てで、育児経験がない私は薄々おかしいとは感じていたが、性格なのかもしれないとも思った。というより普通の子供であって欲しいとの願いが強かった。とにかく私なりに手作りの言葉カードを作って働きかけたり、毎日、公園に行ったりとできることは一生懸命にやった。が、やはり言葉は出ない。公園に行っても、他の子供達と関われない。私達は親子で孤立していく。息子は訳もなく泣き、泣き出すとずっと泣く。こだわりが強い。息子と感情のやりとりができないので、親としては、精神的にとても疲れた。近所の方や公園で知り合った方に、私が話しかけていないから言葉が出ないとか、私の子供に対する接し方が悪いのではという意味のことを言われた。離れて暮らしている息子の祖母も、心配のあまり電話で同じようなことを言いがちであった。なかには、「私はあなたよりは、子供に話しかけている」と子供のことで気落ちして言葉数が少なくなっている私に、自信たっぷりに言った方もいた。これらの発言は、息子が普通の顔をしているから、そう考えるのだと思う。得てして人は、事情や大変さを理解していなくても批判だけすることはありがちだ。悪気がない場合も多いかもしれないが、言われた側はたまったものではない。ストレスになる。
親として、この頃が一番辛い時期だった。どんなに一生懸命やっても、母親が悪いと言われる。また、息子も相変わらず様子がおかしく成長しているように見えないので、あせりも出てくる。
一体どうしたらいいのか?
こうなると、いくら精神的にタフな人でも抑うつ状態に陥りがちになる。私も少しおかしくなりかけた。だが、このままではいけないと思った。今のままだと何の進展もない。元々私は現実を認識したら、そこから解決に向かってできるだけの努力をするほうだ。だから、どうして息子がこうなのかわからないままでいるのが、一番良くないと思った。他の病院で診てもらおうと決めた。
A病院の療育教室は続けながらも、三歳の時、B病院に行って診てもらった。その時の診断名が、自閉的傾向児である。『自閉症』って? 親の育て方が関係しているの? よくわからないまま医者に尋ねると、「育て方ではありません。障害ですから」と言われた。障害と言われると、治らないのかと一瞬思ったが、親の育て方と言われるストレスからは、ある意味開放された。それならば、できる範囲でなんとかしようという気持ちが湧いてきた。先生は「少しでも社会に適応できるように努力していきましょう」とも言われた。私は先生の言われることは正しいと思った。元来、なんとかしてやろう精神の強い私は、その後、できる範囲でいろいろチャレンジしてみた。

先ず言葉に関しては、C病院に四歳の時から通った。電車に乗って、当初は二週間に一回ペース、その後は月一回ペース、もっと大きくなったら2ヶ月に一回ペースで通った。結果、五歳の時、「あーお」とあおという言葉を伸ばした発音を初めて言った。次は「あーか」であった。あ行は出やすい言葉だと言語聴覚士から説明を受けていた。だから、信号を見ては「あおよ」「あかよ」と特に意識して話しかけていた。それからは徐々に言葉が出るようになったが、発音が不明瞭で、聞き取りにくいことも多い。言語聴覚士に発声をするのが不器用だと説明を受けた。けれども、この説明には、私は未だに納得していないところがある。本当にそれだけの理由なのだろうか? 訓練はカードを使って単純であったが、親としてはそこからヒントを得ることも多く、勉強になった。
何より言葉が出ても、こちらが質問している意味がわからないようで、会話が成立しない。「好き? 嫌い?」と尋ねて、せいぜい「好き」と答えるくらいである。息子はそれでも二者択一ができるが、自閉症の子供はオウム返しで、二者択一ができないことも多いのである。文章化した言葉を使うことは皆無である。その後、努力した結果、少しは良くなった。後楽園遊園地に行くことになっていると、「後楽園、行く」という具合である。「後楽園に行く」と、助詞を使って言い直させても、その場限りで終わる。後で触れるが、この頃、言語聴覚士に「本人に理由がわからなくても、お母さんが話す時に、理由を説明しながら話すように」と指導を受けたのは、後に良い結果になった。例えば、「暗くなったから、電気をつけようね」「のどが渇いたから、お水を飲もう」というように。その点は良いことだと思ったので、そのことを心がけて接するようにした。発音の不明瞭さも少しは改善されたが、大人になってもなかなかというのが、実情である。たまに聞き取れないことがあると、言い直させると、わかることが多い。

教育に関してもできるだけのことはした。A病院の担当者に幼稚園は理解のある所に入れるように言われていた。集団生活も本人の成長に良いとのことだった。たまたまD新聞にE学園の記事が載っていたのを目にした。自閉症児と普通児の混合教育をしている学校である。面接をして、受け入れてくれるということになったので、学校の所在地のある東京に引越しをした。幼稚園から高校卒業まで、その学校に通った。お金はかかったが、他の学校に行っていたらとてもできないような体験ができた。スキーやスケート、沖縄旅行や京都旅行、グアム、ハワイなどにも行った。普通の人でも見聞を広めると、そのことが何かの時に活きてくる。また、人格形成に影響を及ぼすこともあるはず。それは、障害があっても同じだと思う。息子にとっては糧になっているだろう。本人もそれらの活動は、楽しんで参加していた。
因みに、夏休みには必ず寝台列車などのいろいろな乗り物を利用して、学校行事以外に私的にも旅行をした。次男が行ってみたい所を選んだが、結果的に長男は乗り物が好きだし、どこかに出かけることを喜んだので、このことも良かったと思っている。次男もかけがえのない子供だ。長い休みの時は旅行や水族館などに共に行き、日頃できないことを親子で楽しんだことは、次男にとっても長男にとっても良い影響があったと思う。勿論、自閉症の子供を連れ歩く親は大変ではあるが、一緒に楽しんだことはいい思い出になっている。
学校では障害があるからといって可能性を否定しないで、陶芸とか、調理とかも教えてくれた。もっとも最近、本人が話してくれてわかったことだが、息子は粘土の感触が嫌で、陶芸は嫌いだったとのことだ。
学校の先生は一様に熱心だった。ただ、お世話になって言うのも憚られるが、もう少しゆったりとした学びの場であってもよかったのにと思う。それでも、振り返ってみると、トータルでは良かった。

しかし、である。いくら頑張っても、これ以上望めない限界を感じてくる。脳の状態が良くならなければ、どうしようもないというあきらめの気持ちが、大人へと成長していく息子とともに私の心に定着してきた。育つ環境はできるだけのことはしたし、愛情も注いだつもりだ。家では食後の食器洗いなどの簡単な用事もできるように教えた。数字に関する記憶は強い。最近、何故数字に対する記憶がいいのか尋ねたら、本人は、とにかく覚えていると言う。だが、社会生活を送る上では、特に対人と関わることには数字の強さは役には立たない。臨機応変は全くできない。根本部分である脳の状態が良くならなければ、もうこれ以上はあきらめるしかないのではないか? 息子の脳はどうなっているのだろう? どこが普通と言われている人と違っているのだろう? ちょっと投げやりな気持ちの時もあった。
医学はどこまで進歩しているのか? 一時、近くのF病院で自閉症の薬の開発をしている医者がいるのを聞きつけて、薬を飲んでみたことがあった。が、却って興奮したので、数ヶ月で止めた。また、小学五年生の時に、担任との折り合いが悪く、自宅に帰ると騒いだ。これが引き金となってチックが始まった。D新聞に、G病院でトレット症候群に薬を処方すると、状態が良くなるという記事が出ていた。息子の状態が悪かったので、直にコンタクトを取り、その後は処方箋をもらいに通った。今は、もうこの薬は飲んでいない。後述するサプリメント治療をするようになってから必要を感じなくなったからだ。私が薬を止めたいことを伝えると、先生も息子の落ち着いた様子を見て、止めてもいいと言ってくれた。因みにチックも脳が原因で、ストレスなどがきっかけとなって発症することは、先生から説明を受けている。やはり、詰まるところは脳の状態が良くならなければならないということだ。
その後は、これといって真新しい医学的な情報も得られないまま年月は経っていった。

やがて息子は高校を卒業して、作業所に福祉的就労をした。幸いその職場は息子に合っているようで、楽しそうに通所している。相変わらず、私には理由がわからないことでイライラしていることが時々あり、ヒステリックになって泣いたりするのは、大人になっても変わらなかった。世間ではパニックと呼んでいる。息子は障害手帳で言えば中度で、パニックもしょっちゅうではないほうだ。しかし、これがいつ出てくるかと思うと、私は息子が小さい時から、一緒に外出する時は身構えた。外でパニックが起きると、理解のない人達から奇異な目で見られ、ストレス度が増す。だから、とても疲れるのであった。気が張るという言葉がピッタリである。また、傍でパニックを見ていると、どうしても苛立ってくるのは生身の人間であれば致し方ないと思う。当事者としての実感である。それでも、息子も働くようになった。親としては一区切りついた。障害の子供を持つと、将来を考えて気が休まるときはないが、息子の人生もまあそれなりだと思った。このままの状態で、やがて息子は歳を取って老いていくのだと思っていた。

丁度その頃のことである。テレビの報道番組をたまたま見た。アメリカでは自閉症の研究が日本より進んでいることを知った。
自閉症が良くなる可能性が、まだあるかもしれない。ただ、薬を使った治療だったので、少しでも飲む時間を間違えると、悪くなるようだ。それだと、専門医につきっきりで治療をしないといけないわけだ。それに失敗すると怖い。まだ、日本ではそんな医者はいないだろう。だが、何か情報を得られないかと思い、そのテレビ局に電話で問い合わせてみた。インターネット上で、キレートの情報が得られるとの回答を得た。自閉症が良くなることをあきらめていたのに、俄かに希望が出てきた。キレートって何? インターネットでキレート情報を検索した。キレートはギリシャ語でカニのはさみの意味だった。自閉症の治療に関しては、有害な金属をキレート剤がはさんで体外に出すということ。つまり、デトックス。有害な金属を体から、特に脳から出すということは絶対良い結果に繋がるだろうと納得した。もともと脳からくる障害なので、脳を改善していけば、息子の状態は良くなる可能性はあると思った。可能性があるのなら、やってみたい。なんとかしてやろう精神と即実行の私は、その日から情報を得ようと毎日のようにインターネット検索をした。結果的に報道番組がきっかけとなり、私なりの勉強が始まった。毛髪検査を一度行ったことが縁で、デトックス情報を得るべく、H医学研究所の講演に京都まで行ったこともある。ただ、よくわからないこともあり、噛み砕いて教えてくれる誰かの必要を日々感じていた。
そうしている内に、アメリカのI研究所の存在を知った。薬でないキレートをしていることに安全性を感じた。I研究所に尿検査も出した。が、検査結果を日本人のスタッフに翻訳してもらわなければならないもどかしさがある。I研究所の先生が日本で講演をされた時も聴きに行ったが、内容が難しい。それに、即実行の私でもアメリカは遠いので、今後、余分なエネルギーを使って研究所とコンタクトを取るのは煩わしい。日本でこういうことをやっている医者はいないのだろうかといつも思っていた。ある時たまたま、一記者のコメントを見て、日本でも行っている医者の存在を知った。しかも、薬を使わないデトックスのようだ。早速、記者にコンタクトを取り、大森先生のことを知り、直に電話をして、アポイントを取った。

大森先生の経歴を調べて、医者になる前、元々は化学を学んだ人ということで安心できた。化学的見地で、脳から有害な金属を出すことを考えているのなら、信用できると思った。余談ではあるが、腰の低さにも少なからず感動を覚えた。なぜなら、これまでの私の経験では、自閉症に関する教育者は教育が全ての先生が多い。医学を否定しているような印象すら受ける。自閉症に関する薬の開発をしている方も、そういうつもりではないのだろうが、薬オンリーの言い方をする。全ての教育者、医者がそうだと言っている訳ではないのだが、得てしてというのが私の印象だ。だが、大森先生は違っていた。前述したタイプの方ではなかった。後から知ったのだが、先生は常に他の方が研究されている世界中の文献を読んで、勉強をされている。その上で、トータルな分析をされていることがわかった。各々では素晴らしい研究をしていても、他の方が研究されたことも勉強し、点と点を線にするようなトータルな分析ができなければ、詰まるところ意味がないのでは……と、教育者でも医者でもない素人の私は思ってしまう。この柔軟で部分的ではないものの考え方にも共感できた。ともかく、治療を受けてみたい医者に出会えてよかった! 

先生とお会いして早速、先生が開発された、脳からも有害な金属を少しずつ出すことを可能にしたインナーボディマイナスというサプリメントで、デトックスを開始した。わからないことは、先生に尋ねるとよく教えてくださった。最初は、三~四ヶ月毎に毛髪検査をしながら、とにかくデトックスをしていった。腸を整えるために整腸剤も併用し、必要なミネラルも取るようにした。食事面も以前より気をつけて、有害な金属が溜まっている大魚はなるべく控えるように気をつけた。毛髪検査の結果を私は折れ線グラフにしてみた。息子の体から有害な金属が出て行くのを見ていくのは、不謹慎かもしれないが愉快である。息子の体の中にこんなにも有害な金属が入っていたのかと驚いてしまう。こうした治療をしながら五年位の年月はあっという間に過ぎていった。体から有害な金属が出るのだから、必ず良い結果は出ると信じていた。

良い結果は出た。治療をやり始めて半年位から、薄皮が剥がれるごとく効果は出てきた。特により効果が出てきたのは、二年前、十二項目の遺伝子検査をして、その結果から個別に対応した必要なビタミン、ミネラルのサプリメントを取るようになってからだと感じている。が、効果が出たのも、その前にデトックスをかなりやったからではないかと思っている。今でもデトックスは続けている。治療をはじめて七年間くらいは経っているが、長いとは感じない。息子が良くなっていくのを見るのは喜びだ。

具体的な効果は三つ。一つ目は、パニックがなくなった。二つ目は、理解力が増した。それに伴って、言葉が文章化してきた。三つ目はアイコンタクトが取れるようになってきた。
以前はたまにイライラしてヒステリックになっていたのが、段々減ってきて、現在は殆どない。イライラしている理由を尋ねると話してくれるので、私も対処がしやすい。文章化した会話が徐々に出来るようになってきたため、おそらく相手に自分の気持ちを少しずつでも伝えられるようになったことも、イライラが減った要因の一つではあるだろう。「昔、何でイライラしていたの?」と尋ねたら、「しゃべるのが難しかったから」と息子は答えている。つまり、言いたいことが、上手く文章化して言葉にできなかったということだと思う。前述した学校の陶芸の先生のことを、最近、話の序に尋ねると、「嫌い」と言った。「なぜ嫌いなの?」と尋ねると、「怒るから」と言った。「なぜ怒られたの?」と尋ねると「陶芸をやらないから」と答えた。「なぜ陶芸をやらなかったの?」と更に尋ねると、「粘土を触るのが嫌だったから」と答えた。どうも粘土の感触が嫌いだったようだ。「嫌なら嫌だと言えばよかったのにね」と私が言うと、「しゃべれなかったから」と言っている。おそらく、言いたいことが上手く文章にして話せなかったということであろう。先生も熱がはいりすぎてのことだったと思う。相手に自分の気持ちが伝えられれば、どんなにか楽であっただろう。

以前の嫌な体験を口にすることもあるのだが、穏やかにそのことを話してくれる。親が怒るとトラウマになって、そのことを思い出しパニックになるという話を聞いたことはあるが、それは余程の叱り方であると思う。普通と言われる人でも多かれ少なかれ、小さい時のトラウマはあるのではないか。が、だからと言って、パニックになるわけではない。ならば、どうして、発達障害の人だけ特別に叱ってはいけないのだろう。それは、障害の脳は良くならないという前提の見方があるからではないだろうか? だから、発達障害の人には余計配慮しなくてはいけないというのではないだろうか? 一理あるかもしれない。しかし、脳の状態が良くなっていくと、違うのではないだろうか? 現に息子は脳の状態が良くなってからパニックはなくなってきた。パニックを起こしにくい脳になってきたのではと思う。とするなら、脳の改善を図るのが先決なのではないか? 
イライラが減ってきたので、チックの薬を徐々に減らしていった。前述したように、今では完全に止めている。止めても、ヒステリックにはならない。チックはあるが、私は息子と一緒にいて、ずっと楽になってきた。楽に慣れてきて、以前の大変さを忘れているような感じである。なぜなら、パニックもなくなってきたし、私の言うことが以前よりわかるようになってきたので、コミュニケーションっぽいことも取れるのである。それは楽しいことである。今では、私が言っている意味がわからないと、「○○って、何?」と聞くこともある。息子の理解力は確実に増している。

言葉の文章化及びコミュニケーションの例を少し。
アルバムをよく見ているので、何でアルバムをよく見るのか尋ねたら、「小さい時のことを知りたいから」と答えた。本人に聞いたところ、三歳頃以前の記憶はないらしい。遊園地に行ったアルバムを見ていたので、ジェットコースターに乗ってケタケタ笑っていたことを思い出し、「ジェットコースター、好きだよね」と言うと、「嫌いだった」と言う。「何で?」と尋ねると「怖いから」と意外な返事。おそらく、怖さで逆に笑っていたのだろう。好きだと思って何度もジェットコースターに乗らせたことを思い出し、「じゃあ、何で嫌だと言わなかったの?」と聞くと、「しゃべれなかったから」と言った。陶芸が嫌だと言った時と同じである。相手に言いたいことが言えなくて、誤解されたり、怒られたり、嫌な思いをずっとしてきたのであろう。コミュニケーションが取れないことは、親も先生も何より本人が不幸である。もう一つの例。弟が自分のお金でピザを頼んで食べているのを見て、「僕も、自分のお金でピザを食べたいです」と言った。工賃は安いが、自分で働いてお金を稼いでいるという意識があるのだと思う。やりたいことへの意思もしっかり出ている。こうした些細で当たり前なことでも、息子と私にとっては画期的なことなのである。寒い日に自宅に帰り、自ら「寒かったね」と言ったことがある。玄関に靴がたくさん並んでいて、自分が靴を履く時、「じゃま」と言ったこともある。冒頭に述べたように、少しずつだが、状況に適した言葉を発することができるようになってきている。
言葉に関しては、言語訓練でやったことが、脳の状態が良くなることによって、活きてきたと思っている。単語を並べた話し方ではなく、理由付けした話し方をするようにしたので、神経伝達回路が上手く繋がってきた時、以前インプットされたものが文章化しやすくなっているのではないかと思う。サプリメント治療を行う前は大人になっているのに、作業所から帰ってきた時、たまに「ただいま」と言うところを「おかえり」と言うことがあった。漫画のような笑える話だが、本当のことである。本当の意味で言葉の理解ができていないから、こうなるのであろう。「ただいま」は、サプリメント治療を始めてから比較的早い時期に間違えないようになった。発声は相変わらずのところがある。言語聴覚士にはこれ以上は望めないと言われ、高校卒業と同時に訓練も卒業しているが、脳がもっと良くなれば、発声も今後良くなるかもしれないと私はあきらめてはいない。

仕事も以前よりできるようになってきていると思っていた。だが、実は一年前の作業所の面談で、他の利用者さんのことが気になり手元が止まり、集中して仕事ができないことがあるため、作業評価が下がったことを伝えられた。息子の状態は良くなっていると感じていた私には甚だ心外だった。多分、自分の意思が出てきたので、封入作業に飽きてきたことが理由かもしれないと思った。だが、仕事は仕事である。私から本人に、なぜ働く必要があるかを懇々と説明したが、効果があったのは一月だけ。私はあの手この手と試行錯誤した挙句、大森先生のスタッフに相談した。そして、現状のサプリメントにプラスして、5‐HTP(セロトニンをつくる)サプリメントを朝食後、DHA・フォスファチディルセリン(脳の思考回路の栄養素になる)サプリメントを夕食後に飲ませて様子を見ることにした。仕事に集中するようになればと思い四月から飲み始めたが、想定外の効果が出た。こだわりを少しコントロールできるようになり、感情が豊かになった。
具体的には、自宅で注意されるとパニックのようなかたちではなく、悔し涙を滲ませる。絵画教室(数年前から週一回通っている)で使用したハンカチが洗濯されてタンスの引き出しに入っているか確認することにこだわっていたが、ある時、自分がハンカチを絵画教室に忘れてきたのに洗濯機に入れたと勘違いした息子にタンスの引き出しの中に「ない」と言われ、私も捜したことがある。そもそも、洗濯したかな? が、結局見つからないので、「勘違いしているかもしれないよ。でも、なかったら、あきらめよう」と言うと、すんなりふっ切れた。以前では、暫く尾を引いていたが、直にあきらめられた。後からハンカチが見つかった時も、「絵画教室に忘れた」とばつが悪そうに私に言って来た。忘れる、勘違いすることは普通っぽいのである。自閉症の人はこだわっていることを、忘れて勘違いすることは、私は経験からあまりないように思う。また、こだわりがなかなかふっ切れないのも自閉症の人の特徴なのだが、直にふっ切れた。今でもこだわりはあるが、そのこだわりを忘れて後から気が付き、イライラすることがある。しかし、私から気にしなくていいことを話すと、納得してくれる。
肝心の仕事に関してはその後、福祉作業所から変化のある仕事にという提案もあり、同じ作業所が運営している給食部門に移動することになった。封入作業より変化のある仕事なので、ヤル気を持って取り組んでくれることを期待している。

今、息子は二十九歳、グループホームで生活している。グループホームでもこだわって(後から理由を聞くと些細なことなのだが)、イライラした時、自分の部屋に行き、イライラがおさまるまで座っていたとの報告を世話人から受けた。世話人から「これはパニックですか?」と聞かれたが、私は「自分でコントロールできるのなら、パニックとは言いません」と答えた。
サプリメントも一人で管理して飲んでいる。サプリメントがなくなる前に私に「サプリ、後二個です」というふうに伝えてくる。グループホームから作業所には自転車で通っている。小学生の頃、学校に送り迎えをしていたことを思うと、雲泥の差である。週一回、プールにも行っている。月一回、好きな歌をピアノ伴奏で歌う活動もしている。毎年夏には、キャンプに一人で参加している。以前は温泉に入ることが趣味だったが、この頃は飛行機を見ることだ。時折、ガイドヘルパーやボランティアの方と飛行場に出かけている。充実した日々を過ごしていると思う。

最近、更に検査項目が増えた遺伝子検査をした。既に十二項目行っているので、追加十七項目も含めた検査だ。結果が出て、息子の脳の状態がより詳しくわかった。それに基づいて、より効果的な個人対応の治療をしている。言うまでもなく、脳の状態は一人々々違うからだ。以前、十二項目の検査結果が出た時は、良い意味での衝撃だった。息子の脳の神経伝達回路の状態が検査範囲でわかったからだ。小さい時から息子の脳はどうなっているのだろうと、ずっと知りたかった答えが得られたのである。遺伝子多型の説明も受けた。生まれつきの部分である。これは個性と考えて、その上に、有害な金属が脳に入ることによりダメージを受け、おかしくなっている。それなら、有害な金属は体外に出してやり、脳にとって不足な物は取り入れていけば、今後、息子はもっと社会で生きやすい人になっていくはずだ。社会に受け入れられやすい人のほうが、やはり幸福だと思う。息子に自閉的という診断名が出た三歳の時から、少しでも社会に適応できるようにという目標が、実現しつつある。                 
障害だからどうすることもできないと一旦はあきらめたことが、今、治療できることの実感に、親である私はワクワクしている。冒頭で述べたように、これまで私の判断で(勿論、夫と相談している)、必要と思われることはその都度チャレンジしてきた。いろいろな分野の方々にお世話になり、それぞれの相乗作用で現在の息子がある。そして今、私がずっと望んでいた脳の状態を良くするサプリメント治療にやっと辿り着き、治療中である。
現代社会は、息子が小さい時と比べてインターネットなどで情報を得ようと思えば格段に得やすくなっている。医学も教育も国の福祉施策も一昔とは比べものにならない程、前進している。チャレンジしようと思えば、できることは増えている。欲を言えば、息子が小さい時にサプリメント治療が可能であったなら、今の息子はもっと違った人になっていたかもしれないと思う。そして、経験から、できれば早めに治療や療育を行っていくと、より進展があるはずだとも思う。息子は成人している。それでも、まだまだ可能性はあると信じている。そして勿論、チャレンジしていくにはお金もかかる。私も優雅にやってきたわけではなく、息子が小学校高学年から、パートの仕事をしている。親が働くことはプラス思考でいけば、世の中の動きに敏感だったり、社会の厳しさを知ったり、生きていく上での社会性が得られるので、結果として子供にも良い意味で反映できるのではないかと、私の家庭に関しては思う。今、振り返ってみて、ポジティブ思考でやってきたことが、その当時は大変だったはずなのだが、辛いイメージはあまり湧かない。むしろ、頑張った分、楽しかったイメージがある。多分、今、充実しているからではないかと思う。

今後の息子の目標はもっと仕事が出来るようになることである。自転車が好きな息子は余暇活動が広がり、自転車を買うために、「ちゃんと働く」とも言うようになった。健全なことだと思う。この頃は、働いてお金を貯めなければ、自転車も買えないし、旅行にもいけないということが、わかってくるようになった感じだ。
息子の脳の状態はもっと良くなるかもと希望が持てることは素直に嬉しく、ヤル気が出るのである。これからもまだまだあきらめず、邁進していこう! 

追記

息子の体験を記し終えて、僅かしか経っていないのだが、更に進歩があった。あれ程ダメだと思っていた息子の発音が、少しだけど良くなっている感じだ。骨伝導イヤホンを使って、発音の練習をするようになってからである。やり方としては、小さい子供向けのことばのじてんを活用している。絵があるので、わかりやすい。先ず、一つの文章を息子に聞かせるように私が読んで、その後、同じ文章を息子に読んでもらう。変な発音をした時は、もう一度、私が発音して、息子にもまた、発音してもらう。良ければ、次の文章を読む。そのことを繰り返す。勿論、上手く発音した時は、褒めることは言うまでもない。きれいな発音の仕方を示すのも含めて、このやり方は言語訓練に通ったことからヒントを得ている。
不思議なことに、話す時、息子の声が大きいのも問題だったのだが、骨伝導イヤホンをしていると、声が少し小さくなり、していない時より上手く発音できる。息子は、一般に聞こえる音よりも、クリアでない状態で音を聞いているのではないか? だからこそ、話す時、声が大きくなっていたのではないかと思う。気が付かなくて、かわいそうなことをした。そもそも、自閉症の中でこういう人がいるということを、一昨年、大森先生のセミナーに参加するまで聞いたことがなかった。小さい時に中耳炎になっていたら聞こえが悪いかもしれないので、そのことが発音にも関係しているかもしれないことを、セミナーで聞いた。骨伝導イヤホンを試してみるよう、アドバイスも受けた。息子は三歳の時に、中耳炎を患っている。セミナー直後は、日本の中で最高峰と言われる言語訓練に通っても、発音の不明瞭さはなかなか改善されなかったので、やってもダメなのではと思っていた。実際、言語聴覚士に発音の大きさが調節できるようになるのは、言葉が出ても難しい部分だということを、言語訓練終了の頃に言われていたので、半信半疑の気持ちが強かった。だが、この調子でやり続ければ、それもできるようになるかもしれないと期待が持てる。ただ、イヤホンを四六時中つけて動くわけにもいかないので、今のところ、この練習は自宅に居る時だけ行うようにしている。よりきれいな発音に定着するには時間がかかることだろうが、今後も継続していくつもりだ。
もっと早くに骨伝導イヤホンを試していればと悔やまれもするが、これもタイミングかもしれない。やってみようと思ったのは、ここ数ヶ月、更に追加したサプリメントを摂り始めて、理解力アップを感じたからである。こういう時は飛躍できる時であり、このタイミングで言語の訓練をしたら、もっと進歩するのではないかという親の勘である。早速、骨伝導イヤホンを購入した次第だ。

理解力アップに伴い、小さい子供が読む絵本を読ませてみたらどうかと思い、こちらも早速、古本屋に行って、イソップ童話の絵本を買ってきた。お馴染みの『うさぎとかめ』等の話がある。先ず、『うさぎとかめ』の話を声に出して読んでもらい、「うさぎとかめは、どちらが勝ったでしょうか?」と質問してみた。「かめ」という答え。正解。それでは、もっと思考を刺激する質問をしてみたらどうだろう? 「なぜ、かめはうさぎに勝ったのでしょうか?」と質問。少し、考えている様子だったが、絵本の中の、「ぼくの足はのろいから、やすむわけにはいかない」という箇所を指差しながら、「かめは休まなかったから」と答えた。正解である。脳の伝達回路が上手く繋がってきつつあると実感した。こうした思考を鼓舞する質問は、絵本に限らず、日常生活で実践していくと的確な文章化に繋がっていく感じだ。
自閉症の人にありがちなお決まりのフレーズを一方的に言うのではなく、言葉のキャッチボールが、少しずつだができている。

別の話を。

先日の朝のことだ。小雨が降っていた。窓際に立っていた息子に夫が、「雨、降っている?」と尋ねたのだが、「少し」という返事が返ってきた。以前なら、「降っています」という返事であっただろうと想像できるが、的確に状況を表現した返事だった。序に、「傘を差さないと、濡れる?」と聞くと、外を見ながら、「濡れる」と答えた。これまた、状況を鑑みた答えだった。何だか、また一つ前進できそうだ。

改善が見られたことをもう一つ。
昨年秋に受けたアレルギー検査結果で、アレルギー反応の高い食品を避けるようにしたら、以前より穏やかになってきた。息子は、本来は穏やかな人だったのだということがわかった。骨伝導イヤホン同様、この検査も、もっと早くやればよかったと思ったが、これもタイミングなのだろう。

今、期待より成果が見えない時もあり、焦ってはいけないなと反省することも多々ある。それでも、以前より進歩している息子が目の前にいるので、ガンバローという気持ちが湧いてくる。

平成二十五年三月十日